【映画紹介】トゥルーマンショー

今回はトゥルーマンショーの紹介です。

トゥルーマンショーは1998年のアメリカの映画です。

当初は脚本を書いたアンドリューニコルが監督をする予定でしたが、ギャラ等の問題によって問題作をたくさん作るピーターウィア氏が監督として雇われ作成した。

 

 

あらすじです。

離島・シーヘブンで、保険会社に勤めるトゥルーマン・バーバンク(ジム・キャリー)は、「おはよう! そして会えない時のために、こんにちはとこんばんは!おやすみ!」が口癖の明るい青年である。彼は生まれてから1度も島から出たことがなかった。それは、父と一緒に海でボートを漕いでいたときに「嵐が来るぞ」という父の警告を無視して船を進め、嵐を回避できず海に投げ出された父親を亡くしたことで、水恐怖症を患ってしまったためであった。

ある日、彼がいつものように新聞を買ったあと、雑踏の中ひとりのホームレスの老人とすれ違う。それは幼い頃、海に沈み亡くなったはずの父親だった。しかしその直後、老人は瞬く間に何者かに連れ去られてしまう。彼はこの出来事をきっかけに、自分の周囲を不審に感じ始める。

実は、トゥルーマンは生まれたときから人生の全てを24時間撮影されていた。彼はアメリカ合衆国民ですらなく、彼の人生は全てそのままリアリティ番組トゥルーマン・ショー』として世界220か国に放送されていた。彼の住む街は万里の長城に匹敵するドーム内に作られた巨大なセットで、太陽や月、星々も機械仕掛けの照明装置に過ぎず、雨や雷鳴などの気象も人為的なものであり、そして何よりトゥルーマン以外の人物は全て俳優なのであった。もちろん死んでしまったという父も本当の父ではなく俳優であり、父親役の俳優は実際は死んでおらず、のちに感動の再会を果たすことになる。

この番組ではCMは入らず、番組中で商品の宣伝が行われている、いわゆるプロダクトプレイスメントである。例えばトゥルーマンの親友マーロン(ノア・エメリッヒ)は、いつも缶ビールをカメラに向けてビールを宣伝している(もちろんこれは自然な形で行われておりトゥルーマンは気付いていない)。トゥルーマンの妻メリル(ローラ・リニー)も、草刈機や万能ナイフなどを日常会話の中でさりげなく宣伝していたが、あるとき不自然にココアの宣伝をしてしまう(「新製品のこの『モココア』をお試しあれ。ニカラグアの大地で取れた天然のカカオ豆を使ってて最高の味よ。人工甘味料は入ってないわ。」と、日常会話としては非常に不自然で話がかみ合っていなかった)。これを聞いたトゥルーマンは、周囲への疑いをさらに深めていく。

そんな妻との乾いた生活の一方で、トゥルーマンは学生時代に出会ったローレンという女性のことが忘れられないでいた。当時ローレンは、虚偽の世界に生きる彼を思い、「ローレン」とは役名で本名はシルヴィアであるということ、そしてこの世界が全て偽りであることを伝えようする。しかし「シルヴィアの父」を名乗る何者かによって阻止され連れ去られてしまう。「島を出るのよ!私を探して!」。ローレンのこの言葉を最後に、それ以降トゥルーマンと会うことはなかった。

自分の世界に疑念を深めたトゥルーマンは妻の働く病院に忍び込むが、そこでは素人同然の医師たちによる手術が行われていた。医者も偽物なのだと気づいたトゥルーマンは妻を連れて島からの脱出を考え、ローレンがいるというフィジー島へ行こうとする。だが、不可解なトラブルが続発して島の外に行く事ができず、さらに会ったことのない人間から「やあ、トゥルーマン」と呼ばれて混乱に陥る。脱出に失敗し落ち込むトゥルーマンを慰めようと、マーロンが死んだはずの父との再会を演出する。テレビの前の視聴者達は感動に涙するが、トゥルーマンはそのわざとらしさから島が作り物の世界であることを確信する。

やがてトゥルーマンはカメラの目を盗んで自宅の地下室から脱走し、ボートに乗り込んで島の外へと漕ぎ出す。トゥルーマンの行動に気づいた番組プロデューサー・クリストフは、トゥルーマンを救おうとするシルヴィアの制止を振り切って、トゥルーマンを嵐の中に放り込む。水恐怖症を克服して世界の端まで向かうトゥルーマンを、視聴者達はかたずを呑んで見守る。

ついに世界の端にある扉にたどり着いたトゥルーマンに、放送室にいるクリストフはマイクを使って話しかける。生まれたときからトゥルーマンを見続けてきたクリストフは、トゥルーマンを我が子のように考えていた。トゥルーマンは知らない世界に足を踏み出すことはできないだろうと確信しているクリストフは、「君はテレビのスターなんだ、何か言えよ!」と言う。するとトゥルーマンは突然カメラに向かって笑顔を見せ、いつもの調子で「会えない時のために、こんにちはとこんばんは!」と言い放つ。唖然とするクリストフを尻目に、トゥルーマンはセットの外の世界へと踏み出し、画面から去っていく。

視聴者たちは『トゥルーマン・ショー』のエンディングに拍手を送った後、「次の番組はなんだ?」とチャンネルを切り替える。

 

 

 

と、まぁざっくりこんな感じです。

トゥルーマンショーは見終わった後にすっきりする作品でした。

と、まぁざっくりこんな感じです。

トゥルーマンショーは見終わった後にすっきりする作品でした。

最初のうちはスマートフォンをいじりながら見ていた作品でしたが、見ていくうちにどんどん世界観にのめりこみ最後はスッキリ見終えることができました。

 

 

作品自体はお金がかかっていないような作りで結構お粗末なものもたくさんありましたが、

それはそれで味があるような作品でした。

何よりも、あらすじを見てわかっていただけたと思いますが、設定が秀逸すぎる。

作品自体はお金がかかっていないような作りで結構お粗末なものもたくさんありましたが、

それはそれで味があるような作品でした。

何よりも、あらすじを見てわかっていただけたと思いますが、設定が秀逸すぎる。

最初トゥルーマンは自分が騙されていたことに気づかず、視聴者にもそれがわからないような作りになっている。そのため視聴者の視点で見ても何が起きたのか全くわからない。ただ見ていく作品の中ですごく違和感を感じる場面がたくさんある。そこを見ていて面白いところである。作品の中盤あたりから視聴者には次男漫画生されていることがわかる。

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ただしその時点では、トゥルーマンが騙されていると言う事はわからない。

そこがこの作品の面白いところである。

 

ぜひ皆様にもこの作品を見ていただきたい。

そして何とも言えない気分になる。